Columns by Eisuke Tomiyama
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時にはボードを持たない旅を

もちろんサーフィンは最高の喜びを与えてくれるし、たくさんのことを教えてくれるけれど
それだけで十分なのかというと、僕にとってはそうでもない。
欲深い僕は「サーフィンさえあれば他には何もいらない」なんて言えない。

旅についても同じことで、ときどきサーフボードを持たない旅がしたくなる。
そして、波のないところへ出かけていく。

とはいえ、波はなくても水があるところのほうがいい。
一度アリゾナの砂漠に行ったら、あまりに乾燥していて汗はかいたことに気づく前に乾燥し、夕方プールに入って
びしょびしょのまま放っておいたトランクスが朝には乾いて立ち上がるほどになっていた。
どうやら僕は乾燥しすぎているところがダメならしく、気は滅入り、夜は悪夢を見て、LAに帰る途中で立ち寄った
ラスベガスでも気が滅入ったままだった。

サーフボードを持たずに行った旅先で特に印象的だったのは、水の都と呼ばれるふたつの都市。
まずひとつはタイのバンコクで、アユタヤ川と数え切れないほどのその支流が、古くから重要な交通手段と
なっている。 こちらはうって変わって強烈な湿度だし、お世辞にもきれいな町並みとは言いがたいが
何となく落ち着くというか、肌が合う。

もうひとつの水の都はイタリアのヴェネチア。
こちらもバンコク以上にメジャーな旅先だが、サーファーにとってはひどく縁遠い場所だろう。
だが、この土地のインパクトは、生で8〜10フィートのパイプラインを見るのと同じか、それ以上である。
パイプラインのチューブの中とどちらが?と聞かれても僕には答えようがないが、波がないという理由だけで
サーファーがこういう場所を経験するチャンスを逃しているとしたら、それは考えものだ。

夏のヴェネチアもいいが、強烈に印象に残っているのは冬。
寒い寒い冬の夜、軽く100年以上前に建てられたであろう暖房の効かないホテルで薄い毛布にくるまっていると
夜中に観音開きの窓がバタンと開いて、雪が部屋に吹き込んできた。
まるでホラー映画である。コートを着こんで意地でも眠りについて朝方になったら、町じゅうにサイレンが響いた。

しばらくして散歩にでも出ようかと思ってロビーに下りたら、一階は膝上まで水浸し。
さっきのサイレンは、ヴェネチア名物の洪水を知らせるものだった。
そして、ご存知のとおり、ヴェネチアの町並みは中世のまま。
まさにトリップである。

次はもうひとつの水の都アムステルダムいいかなと思ったりもしている。
他にも、やはり水路が網の目のように張り巡らされたフロリダのフォートローダデールや、さらに南のキーウェストでも
水と人が共存していた。

なかでもキーウェストのサンセットは素晴らしかった。
ホテルの部屋には毎日のサンセット・タイムが書かれ、時間になると人々は水辺のバーにやってきて
ビールやカクテルを片手にサンセット見物をする。
毎日、色や焼け具合の違う夕焼けを楽しんだ結論は、キーウェストが世界有数のサンセット・スポットである
ということ。
だが、不思議なことに、アメリカ人たちは水平線に陽が落ちるとすぐに水辺を後にしていた。
日が落ちてからの色の変化もきれいなのに……。

サーフボードを持たずに行った旅のなかに印象的なものが多いのは、何にもとらわれず、ゆったりと過ごしているからかもしれない。
サーフトリップは、気をつけないと波の印象しか残らないものになる。
サーフボードを持ってどこかへ行くと、「サーフィンをしなくちゃ」という強迫観念に駆られて、旅の時間そのものを
楽しめなくなりかねない。

先輩サーファーたちが昔を振り返って言うように、本当は「波があったらラッキー」なのに、「波がないからアンラッキー」だとガッカリし、 目の前に気持ちいい時間が流れているのにそれに気づかず先を急ぐ。

本当はサーフボードを持っていてもゆったりと時を過ごせればいいのだけれど、そんな心境に達することができない僕にとっては、サーフボードを持っていなければ、はじめから諦めがついて潔い。
それに、サーフボードのない手軽さといったらない。
だから、3回に1回ぐらいは、サーフボードを持たない旅をできれなと思っている。