Columns by Eisuke Tomiyama
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秋の海。不意に訪れる美しい午後。

9月になったばかりのある日、鎌倉の海岸線をクルマで走っていると
由比ヶ浜では海の家の取り壊し作業が行われていた。
すでにほとんど跡形もなく取り壊された海の家の残骸は、夏の終わりと秋の訪れを感じさせた。

毎年思うのだが、海の家はどうして8月が終わるとすぐに、まるで何かにせかされているかのように
取り壊されるのだろう。
そして、海にはいきなり秋がやってくる。

ビーチの人ごみや、延々と続く渋滞、何かを求めて海辺へやってくる若者達の群れは
まるで魔法のようにどこかに消え去ってしまう。
そして、海はそこに暮らす人々のもとに帰ってくる。

秋は、僕が一番好きな季節だ。
どんよりと重い苦しい夏の空気が、凛として清々しい秋の空気に入れ替わるとき
まるで生まれ変わったかのような力を感じる。すべてのものがやさしい力強さをたたえる季節。
そして、秋は波の季節でもある。頻繁に発生する台風が、一年のうちで一番のうねりを運んでくれる。

まだ夏の名残を感じさせるアスファルトを裸足で歩き、坂を上りきったところで眼下に広がる海に
しっかりとしたうねりが届いているのを目にするとき、海の近くに住む喜びを感じる。
そして、サーファーたちは自分自身のために波に乗る。

海の水はまだあたたかく、濡れた髪をひんやりとした空気が心地良く冷やす。
夏が仲間とともに共有するものだとしたら、秋はひとりで感じるものだ。

海に秋の訪れを感じた数日後。その日は朝から、秋の前線がしとしと雨を降らせていた。
海には小さいながらも波があったので、まずは目覚まし代わりに少しサーフィンをしたあと、シャワーを浴びて
仕事をすることにした。

しばらくすると、南西に面した書斎の窓から、もう何日もぐずついていた空の雲間から光が差し込むのが見えた。
素晴らしい午後になることを確信させる空の様子を見て、少し前に友人からすすめられたあるレストランのことが
頭に浮かんだ。「気持ちのいい夕方に行くこと」。それが彼からの唯一のアドバイスだった。
そこで、仕事を適当に切り上げて、サンセットの2時間半前に妻と一緒に家を出ることにした。

そのレストランは、海を見下ろす丘の上にある。
江ノ電の線路を渡って、曲がりくねった細い階段を上っていく。
どう考えてもその先にレストランがあるという感じではなく、気付いたら誰かの家に上がりこんでいそうな階段だ。
ちょっと息がきれるほど歩いて上りきると、もともと民家だった家を改装したそのレストランが現われた。
建物をまわり込むようにテラスへ出ると、眼下には相模湾が素晴らしい景色となって広がっていた。

空気は澄み、風はなく、海の水はきれいな淡いブルー。
日は少し傾き、斜面の緑に淡いアンバーの光を照らしている。水平線はくっきりと、ゆるやかな曲線を描いている。
そんな日が、鎌倉の海にもあるのだ。

たしかに鎌倉の海は、空は靄って、水平線はぼやけ、海の水はよどんでいることが多い。
それでも時に、外国の海と比較するのもはばかられるような、美しいひとときが訪れる。

自然が見せる最高の一瞬に出会うには、人間が自然の都合に合わせることだ。
あらゆることを人間の都合のいいようにコントロールしようと必死だった20世紀。
しかし、21世紀を目前に控えた今、そんなことは不可能だということに僕たちは気付き始めている。